夏休み

最近、子供たちの元気な声がよく聞こえるようになった。

おそらく夏休みにはいったのだろう。

自転車に乗り、にぎやかに移動している様子は夏の風物詩と思っている。

 

私は試験という壁を乗り越えてから、夏休みにはいることができる。

勉強しなければならないと思う一方で、いつしてもよいことをしようとしてしまう。

古今東西の学生の悩みだろう。

 

まあ、ぼちぼち頑張ろうと思う。

もう試験まで日数はないが。

 

さて、夏休みということだが、そのことに対してはとても心が踊りかけている。

しかけているだけで、踊っているわけではない。

試験というネックがあるため、踊り切れないという部分もある。

しかし、一番の踊り切れない要因は想像の中の物事がもっとも完璧で美しいからだ。

 

想像上のものは、自分の理想で彩られている。

自分で自由自在に扱うことができる。

 

だが現実はどうだ。

様々な人がいて、様々なものや事柄が影響しあう。

自分の理想が完璧に出来上がることは、不可能に近い。

 

よって私の理想の夏休みは、私の脳内でしか生きられない儚いものなのである。

カゲロウくらい儚い。あるいは入学式にSNSでつながった知り合いとの絆くらい儚い。

 

この文章を読んでわかる通り、自分はどうやらとち狂っている。

試験とは、かくも人を変えてしまうものなのだろう。

 

何を書いているのか分からなくなってきた。

試験への不安と夏休みへの希望が混在し、大変ミックスされた心模様となっている。

 

気を取り直して。

題名が「夏休み」であるから、希望に満ちているだろう夏休みについて書く。

 

夏休みにやることはまず、教習所に収容されることだ。

聞くところによると、1か月は箱詰めにされるらしい。

 

あれっ、希望の夏休み…?

 

いや!これで身分証明書が手に入ると思えば、大変希望に満ち溢れたことだ。

とても…、とても楽しみ…だ。

 

また、夏休みは図書館シャトルランをするつもりだ。

休みの日に図書館で過ごすのって、なんだか浪漫を感じてしまう。

これは自分の性分か。

 

しかし、コロナが心配だ。

図書館が開放されなかったらどうしよう…。

本は私の娯楽だというのに…。YouTubeしか娯楽がなくなる。

 

…いや別にYouTubeがあるなら大丈夫か。

 

まあ友人に会うことも楽しみであるから、コロナはやめてほしい。

元気にしているだろうか。いや、元気にしているだろうな。

連絡をとらないから想像でしかないが。

会った時、近況をきくのが楽しみだ。

 

さて、自分の身分を鑑みると勉強を忘れてはならない。

初修外国語である中国語が、今回の試験でも猛威を振るうだろう。

 

あっ、思い出したら胃痛が。

 

そんなことは忘却の彼方に葬る。

とにかく、予習・復習にも努めたい。

 

なんか宣言するとかっこいいな。

まあ、やるとは限らないが。やりたいと言っているだけだから。

我ながら食えないやつだ。

 

どうか試験が無事に終わり、再試がないことを祈る。